
《対談:中野信子×川田十夢》“言語化のスペシャリスト”が語る「脳の限界と言語の限界」

クリエイティブの仕事はいま、成果物で語る以前に言葉で語ることが求められます。なぜ求められるのか。なぜそれが難しいのか。音声言語の認知に関する研究で博士号を取得した脳科学者の中野信子さんと、開発・執筆・ラジオ出演等さまざまな形で言語を扱う川田十夢さんの対談から、言語と人の関係をひもときます(前後編の前編)。
相手のフィルターを通して見える
自分の言葉を意識する
川田十夢(以下、川田) 中野さんと話していると、言語化のスペシャリストだなと思います。対象者にパッと光が当たるように、その人に伝わる話し方をするんですよね。
テレビならテレビの話し方をするし、本ではもうちょっと踏み込んだ言い方をする。対象のボキャブラリを把握した上で角度を選んで投げかけているようで、すごいなと思うんです。
中野信子(以下、中野) それをわかってもらえるのは嬉しいです。会話はよくキャッチボールに例えられますけど、私の場合は「自分の言葉が相手からどう見えるか」のフィルタを一回通した上で、戻ってきたものを伝えるようにしているんです。“私の目で見ているあなたの目で見たものを私が伝える”という構造ですね。
カウンセリングのトレーニングでもよくやることなので、気になる方はトレーニングを体験してみてもいいかもしれません。
川田 受け取る側のストライクゾーンがあるわけですね。

中野 そうです。あとはいろいろなペルソナを頭に入れていくと、それらを組み合わせて相手に近いものを構築できるので、もっといい伝わり方になるのではないかと思います。
川田 昔、WYSIWYGエディターというツールを使っていましたけど、あれはコードを書くとデザインビューが表示されて、デザインビュー側からも編集できるんですね。片方を変えるともう片方も変わる、あの感覚は大事だったかもしれません。
相手がデザインビューを持っている人ならデザインビュー越しに会話した方がいいわけですよね。それができたらデザイナーとプログラマーとか、クライアントとマーケターのように、持っている言語の違う人同士でも話が通じやすそうです。
中野 ボキャブラリの選び方もそうですね。単語の選択というだけでなく、体験として共有できるものであることもポイントだと思います。例えば「この数式は美しい」という体験を、そう感じたことのない人に伝えるなら、「一撃でうまいこと言った、みたいな感じ」と言えばわかってもらいやすい。
川田 それですね。自分の専門分野については、専門的な深い話を全力で投げ込みたくなってしまうことはありますから。でも本当はあたりをつけながら投げかけた方がいいわけで。
中野 豪速球を投げて「僕すごいでしょ」というコミュニケーションの取り方も、パフォーマンスとしては有効ですし、権威性のためにあえて必要とされる場面もありますけど、理解を求めるならいい方法ではありませんよね。

人の脳は言語の運用に
特化していない
中野 人類の歴史を辿ると言語の誕生はあまり古くなくて、7万年前程度と言われています。7万年程度では、人間の脳はそれに特化した形に進化しないんですね。だから人は言語の運用があまり上手ではないんです。さらに文字言語については、いろいろ議論はありますが1万年よりは短いだろうとされています。
それこそ脳は文字に特化していなくて、他の用途に使っていた部分を無理やり文字の認知に使っているんです。どこかというと、前頭葉と側頭葉の間にある溝が後頭葉に接続する部分、TPJ(Temporo-parietal junction)というんですけど、空間認知や道具の使用を司る部分です。ここにはもう1つ役割があって、それが暗喩の理解です。シンボルが何を表しているのかという意味の理解をするんです。
川田 文字は、道具でありメタファーなんですね。
中野 そうです。ですが、実はそれがあまりこなれていないんです。その現れにディスレクシアという症状があります。知能や音声言語には問題がないのに、文字の読み書きだけが困難という特性があって、潜在的に人口の10%程度いると言われています。
脳にとってそういう難しいものを扱っているわけですから、人間が人間であるかぎり言語に依存しすぎるのは危険な気がします。
川田 テキストだと、文章のこの部分に含まれる情報量が大きいぞと太字やイタリックで強調することがありますよね。こういうやり取りがもっとできたらいいなと思うんです。
同じ一言でも、反射的に発する言葉といろいろな思いをした後に出てくる言葉は違うじゃないですか。それが一目でわかるようなインターフェースが言語のどこかに備わると変わると思いますね。
中野 言語になる前に心に現れるものを“表象”と言いますけど、その広さが見えるということですね。
川田 人が初めて使った楽器は動物の骨を使ったたて笛で、4万年ほど前のものだそうです。言葉にするって、言語化の前に外部化があると思うんですけど、自分ではないものを介在させて音(音階)を出す楽器は、他者に伝えるという意味では言語のトレーニングに近いのかもしれませんね。
中野 道具の使用ですね。前頭葉・側頭葉・後頭葉を統合するTPJは、それまで捨てるものであった骨を見て、何か他の用途に使えるのではないかと考えついたりするような、クリエイティビティの源泉でもあるんです。人間らしさって、結構その領域にあるのだと思います。
川田 ということは、道具を使う感覚を養うと、言語化や空間認知も養われるかもしれませんね。
中野 可能性はあると思います。脳は部分によって完成までにかかる時間に違いがあって、新生児の頃にできてしまう部分もあるのですが、TPJは一般的に30歳くらいまでかかります。人によってはもっとかかるし、もしかしたら完成しないのかもしれません。完成しないということは、育てがいもあるということですね。
(Vo.2へ続く)

Text: 笠井 美史乃 Photo: 石塚定人
※本記事は「Web Designing 2024年6月号」に掲載した記事を一部抜粋・再編集したうえで掲載しています。