Webディレクターの仕事から徹底解剖! “良い”言語化のための思考のデザインとは?(1)

タグラインやSNS運用、そしてステークホルダー間でのコミュニケーション。ブランディングにおける言葉の役割が大きくなる中、その起点となるWebデザインにおいても「言語化」が必要な場面は増えています。現場のディレクターがどのように「言語化」しているのか、頭の中を言語化してみました(前後編の前編)。

目次

「言語化」が求められる背景と注意点

「言語化」が注目される背景と、Webデザインにおける意義

ひと昔前は「伝え方」、数年前は「図解」、そして昨今の「言語化」と、物事を伝える方法論は、一定周期でブームになりますね。これは、自分の意見や考えを、上手に他者に伝えたいと感じる人や場面が増えている証左と言えます。

その普遍的な背景には、やはりインターネット、特にSNSの普及により、これまで、一部の著名人・有識者に限られていた言論や創作を「公表する場」が、万人に開かれたことにあるでしょう。

また、Web制作の領域に絞って見ると、ビジネスにおいて、すべての事業者がコーポレートサイトを持つのが当たり前になったことも要因の一つでしょう。現在は、サイトを「持っているだけ」では足りず、より積極的な情報発信・広報活動が必要になっています。そうした状況下で、機材や特殊な技術がなくても可能なテキストベースでの発信は、取り組みやすいものです。しかし、当然ライバルも多くなるため、より的確に、より巧みに、言葉による表現を行いたいニーズから、「言語化」という言葉が注目を集めているのでしょう。

しかし、この「言語化」ブームについて、私は一抹の違和感を抱いています。目的の空洞化と言いますか、「言語化」自体が目的になってしまっている部分があるように思えるのです。

その象徴が、「論破」という言葉の流行でしょう。他者の意見や批判に対し、瞬発的に言葉で論駁する点では、確かに、「言語化」には違いありません。しかし、対話を拒絶し、ときに自家撞着や誤謬を含みながら、ただ一方的に相手をやりこめる行為を果たして「言語化」と呼んで良いものか。少なくとも、私の目指す「言語化」ではないと感じます。

ここから考えるに、広告・広報の領域に属する私たちに必要な「言語化」は、ターゲットや社会といった、他者へ開かれたものであるべきと言えます。形式としては一方的な発信であっても、他者(ときに自分自身)との「対話」を前提とした行為であると再確認することが、「言語化」を論じる上では重要なのです。

相手の背景の見えない「文脈」が分断された時代

関連して、近年もう一つ実感しているのが、「文脈の分断」という現象です。「言語化」が発信者の元で自己完結するものではなく、相手に届けることを前提とするものと捉えるとき、そこには受け手による「解釈」が発生します。

突然ですが、「肉じゃが」の「肉」は何の肉を想像しますか? 私は豚肉派ですが、牛肉派の人もいるでしょうし、鶏や羊という人もいるかもしれません。

このような具体的な名詞であっても、「解釈」は人によって微妙に異なることがあります。人はそれぞれ、それまで見聞きしてきた経験から、独自の「辞書」や文章を読み解くための「文法書」を頭の中に持っていて、それを基に思考を「言語化」したり、他者の言葉を「解釈」したりします。つまり、一人ひとりに固有の「文脈」が存在すると言えます。

自分の世界が「当たり前」と思いこまずに、さまざまに解釈される可能性を意識し、配慮することが、伝わる「言語化」の前提として大切です

この「文脈」は、関係性の密なコミュニティ内ではある程度共有されていて、その違いを意識する場面は少ないでしょう。しかし、ひとたびインターネットに場を転じると、性別や年代、趣味・嗜好もバラバラ、ときには国境を越えて、実にさまざまな「文脈」が、違和を主張しないまま、しかし決して共有されることなく混在しています。つまり、表面的には同じ言葉を使っていても、「文脈」は「分断」されている場合があるのです。

先の例で言えば、私が私の「文脈」で「(豚肉の)肉じゃが」と言語化したものが、相手の文脈に入ったことで、「(牛肉の)肉じゃが」と解釈されて伝わると、齟齬が起きます。もちろん、これは笑い話で済みますが、それが思想、信条、アイデンティティといった、人の根本を規定する価値観に関わる場合、大きな争いに発展する可能性もあります。

ただ、「言語化」を考える上で重要なのは、どの「文脈」が正統であるかを決着させることではなく、あくまでも、自分と他者の間で「文脈」は“共有されていない”という前提に立つことです。異なる「文脈」を持つ他者にも、自分の意図が正しく伝わる言葉を選ぶ。その積み重ねが、良い「言語化」につながります。

伝わる「言語化」に必要な下準備

実のある「言語化」には、思考に「潜る」ことが重要

「言語化」を行う上で大切なのが、そもそも何を「言語化」するのかを突き詰めて考えることです。サイト制作の現場では、「言語化」以前に、「言語化」すべき中身がない/煮詰まっていない事態によく直面します。例えば、コーポレートサイトの打ち合わせでは、「チームのシナジー」というワードが頻出するのですが、率直に言って、これ、何か言っているようで何も言っていないですよね。

もちろん辞書的な意味はわかります。しかし、「チーム」や「シナジー」の意味することは、事業者ごとに異なるはずなのです。しかし、具体的な中身を問うても、クライアント自身、わからない、上手く答えられない。要は「チーム」や「シナジー」というビッグワードで「ブラックボックス」化してしまっているのですね。

中身がないのに“それっぽい”言葉で取り繕っても、薄っぺらい言葉にしかなりません。他者に響く厚みのある言葉にするためには、「言語化」の前に、伝えたいことのコアを探ること、つまり、思考に「潜る」ことが不可欠です。「言語化」と絡めて言うなら、言葉の曖昧性を取り除き、言葉の連鎖をたどりながら、思考の最奥まで深く潜っていく作業と言えるでしょうか。

筆者の「言語化」プロセスのイメージです。
習慣にして繰り返すことで、「言語化」の精度もスピードも上がります

具体的には、曖昧な部分に疑問をひたすらぶつけて、平易で具体的な言葉への言い換えを繰り返します。例えば、「シナジーとは?」「メンバー間の相乗効果です」「それは具体的に、誰と誰に相互の好影響があって、その結果、全体として何が起こるのか?」等々…。

最初は同義反復になりがちですが、繰り返すうちに、拙い言葉でも急に「腑に落ちる」瞬間が訪れます。言いたいことのコアを「理解」すると、ビッグワードに頼らない、より具体的で適切な言葉を探したくなります。すなわち、「理解」を経ることで、実体を伴った、厚みのある「言語化」が可能になるのです。

「潜る」深さや速度は、日ごろの思考量がものを言います。感情や考えを、雑駁な言葉で片付けず、具体的かつ端的に言おうとする習慣が大切です。

主張の背景にある自分の「構造」を定義する

SNSでの炎上事案を眺めていると、「論点が噛み合っていない」と感じることがよくあります。話が広がる中でさまざまな問題意識や「文脈」を持つ人たちが、おのおのの「文脈」で存在しない行間を捏造しながら、誤解と曲解を重ねて収集がつかなくなっている…と。

関連して思い出すのが、学生時代に指導教官から言われた「自分の手札を見せずに議論するのは卑怯な行為である」という言葉です。手札というのは、問題意識の所在や主張の論拠という意味合いですが、確かに、考えのバックボーンを提示せずに、自己主張のみされると、困惑する部分はあります。こうした議論の仕方は、他者との対話を前提とする「言語化」の点では、良くない「言語化」と言えます。

では、他者へ伝えるための、正しい「言語化」のためにはどうすればよいのか。それは、可能な限り自分の意図通りに理解してもらうための「読み方」を提示することです。すなわち、自分の「文脈」を規定する「構造」を定義することが必要です。

「構造」というのは、自分の主張を形成する一連の背景と言えます。大きな要素としては、❶問題意識や関心の所在、❷自分が論点としたいこと、❸その論点に対する自分の立ち位置、❹主張に至った背景・思索の経緯、❺主張や思想を形成する価値観、アイデンティティ、❻主張や価値観をつくった経験やエピソード…等が挙げられます。

これらの要素からなる「構造」は、必ずしもすべてを詳細に書く必要はなく、むしろ自分の中で整理し、把握することが重要です。自分の中にある「構造」に自覚的になることで、「初対面の人には、もう少し情報があったほうが良いかも」「別の立場の人からは誤解されるかも」と、他者の「構造」にも目が向くようになり、言葉選びや論理構成に、自然と「構造」が立ち現れてきます。意図しない誤解をされやすい人は、自分の「構造」を意識できているか、見直すだけでも「言語化」の精度が向上するでしょう。

インターネットはさまざまな価値観を持つ人の集まる場所でもあります。無用な誤解を避けるためには、自分の思想の背景を含めて説明しましょう

教えてくれたのは…

原 明日香さん
アルテバレーノ株式会社
ディレクター
https://artebaleno.co.jp/

Text:原明日香
※本記事は、「Web Designing 2024年6月号」の記事を一部抜粋・再編集して掲載しています。

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