《2026|Web制作の現在地 Vol.6》中野浩明(L/O)が問い直す、AI時代のデザインと「態度」

変化のスピードが速まるなか、Web制作・開発の現場は、いまどこに立っているのでしょうか。2025年を振り返りながら、2026年をどう見据えるのか。現場で向き合う人たちの言葉を手がかりに、現在地を探っていきます。第6回は、アートディレクター/デザイナーの中野浩明さんにお話を伺いました。
プロフィール

中野 浩明
L/O
Webデザイナー/アートディレクター。1981年新潟県生まれ、新潟市在住。大学卒業後、独学でグラフィックデザインとWebデザインを習得。2015年より株式会社スリーに所属し、数々のプロジェクトに参加する。Web設計・制作を軸に、プロデュースからアートディレクション、グラフィックデザインまで幅広く活動。2024年、クリエイティブディレクターの堅田佳一とともに、クリエイティブユニット「L/O」を共同設立。
https://www.l-o.design
2025年、制作の前提はどう変わったのか?
最も大きな変化は、やはり生成AIが実務レベルで完全に定着したことだと思います。これによって、「統計的な正しさに沿った最適解を出す」という役割は、人間が特権的に担うフェーズから、テクノロジーによって効率的に代替される対象へと切り替わりました。
その結果、「では、AIには(少なくとも現時点では)踏み込めない、人間のエネルギーが宿る場所はどこにあるのか」という問いが、より強く突きつけられるようになったと感じています。
もともと僕は、音楽の延長線上でデザインに興味を持ちました。Helmut SchmidやWolfgang Weingartのグラフィックのように、秩序や論理と身体的な気持ちよさが共存する視覚表現が好きで、そうした先人たちのあくなき探究の姿勢はいまも変わらず憧れの対象です。
そうした原体験もあって、あらためて「身体的な反射」や、自分の属性の掛け算から生まれる感覚を意識することこそが、人間としての僕が最もエネルギーを発露できる態度なのではないか、と感じるようになりました。
計算可能な「正しい解」がコモディティ化していくいまだからこそ、自分固有のオリジンに立ち返る必要性を、強く意識した一年でした。
制作の現場で浮かび上がった課題感
2025年に限った話ではありませんが、近年、慢性的な課題として感じているのは、人に会うことや未経験の文化に触れることなど、一次情報を獲得しにいくための「余白」を十分につくれていない点です。原因はシンプルで、ただただリソース配分が下手、ということに尽きるのですが……。
個人的には、身体的なリアクションを創作の出発点にしたほうが、結果として強いアウトプットにつながる感覚があります。そうした余白がないままだと、思考が論理に刈り取られてしまい、予定調和なものしかつくれなくなるのではないか、という怖さもあります。
だからこそ、物理的に定数となってしまうリソース量への向き合い方と、環境や態度によって変数となる「質」をどう高めていくか。その両立は、ずっと自分の中での課題です。組織化して物理的なリソースを足し算する、という選択肢もあるのかもしれませんが、今のところまだしっくりはきていません。おそらく、もうしばらく悩み続けることになるんだろうなと思っています。
2025年を通して、あらためて重要に思ったこと
クライアントワークを通じてあらためて実感したのは、向き合う対象の「自分たちは何者で、何を世に問いかけたいのか」という一次情報を掘り起こし、その存在でしか成し得ないかたちに結実させることの重要性です。
これは、僕自身が持っている「既視感の再生産をしたくない」というモチベーションと、クライアント自身が必ずしも自分たちの要求に自覚的であるとは限らない、という実情とを、実務のなかで重ね合わせたときに見えてくる交差点でもあります。
とくに、平均点前後のアウトプットを瞬時に生成できるようになったいま、統計的なマジョリティに依拠した意思決定は、これからも指数関数的に表現をコモディティ化させていくと思います。そのスピード感やコストの低さが、ビジネスにおいて有用な場面が多いことも理解していますが、それは僕がやりたい活動とは少し違っていて、どうにも触手が伸びません。
加えて、明日には価値観が一変してしまうような時代でもあります。だからこそ、無意識レベルにある普遍的な志向を汲み取り、「あるべき姿」という原理から逆算することで、情報の濁流に埋没しない、その対象固有の強度をデザインとして獲得していく姿勢は、これからさらに重要になっていくのではないかと感じています。
2026年を迎えて、意識したい仕事のあり方
デザインの民主化が進み、あらゆる営みが「デザイン」という言葉で包摂されるようになったいま、あらためて専門家として「デザインとは何か」を、一人ひとりが意識的に問い直す必要があると感じています。
シルヴィオ・ロルッソの著書『デザインにできないこと』では、デザイナー自身がつくり上げてきた「誰もがデザイナー」「すべてのものがデザイン」というデザイン観を「デザイン・パニズム」と呼び、それは自らデザイナーの専門性を消去したことと同義だ、という批判的な態度が示されています。
一方で、僕の好きなグラフィックデザイナーの佐々木俊さんは、昨年トークイベントで「非力で軽薄なところこそがグラフィックデザインの魅力であり、グラフィックデザインに世界を救うような力はない」と語っていました。
また、深澤直人さんは、デザインがグラフィック、プロダクト、建築といったかたちで細分化されている現状に触れつつ、本来は人間・自然・環境をつなぎ合わせ、統合し、ひとつのものとして調和させるべきだと述べています。
結局のところ、何が正しいのかはわかりません。そこにあるのは、個々のデザイナーがどんな態度で「デザイン」という活動に向き合うのか、という選択だけだと思います。それでも、その選択を自覚的に行い続けること自体が、現代においてデザインに携わるうえで、よりいっそう大切になってきているのではないかと感じています。
いま制作に向き合う人たちへ
もし、この大きな転換期に、デザインへの向き合い方に悩んでいる人がいるとしたら、社会や未来といった大きな流れに自分のスタンスを無理に合わせるのではなく、もっと手元にある感覚に目を向けてみてほしいと思います。
たとえば、「大変でもやる気が出る」「つらくてもやろうと思える」「自分の時間を投資したいと思える」–––––そんなふうに、心身のエネルギーがどこから湧いてくるのかを見極めることです。
そこさえ揺るがなければ、たとえ少しくらい社会的な“正解”からずれていたとしても、結果的には自分の市場価値や成果につながっていくのではないか。僕はそんなふうに感じています。
文:中野浩明(L/O)





