《徹底議論》「使う人を理解し、使えるようにする」ためのHCD──TCシンポジウム2025レポート

一般財団法人テクニカルコミュニケーター協会(JTCA)が主催する「TCシンポジウム2025」が、2025年10月8日〜10日に京都リサーチパークで開催されました。
本イベントでは、次世代テクニカルコミュニケーターの育成をテーマに、「テクニカルコミュニケーターの未来をつくるHCD ~モノからコトへ、経験から裏付けへ。次の一歩を踏み出すため~」と題したパネルディスカッションを実施。近年、テクニカルコミュニケーターやWeb制作の人材育成に欠かせない視点として注目される「HCD(人間中心デザイン)」の考え方を軸に、さまざまな議論が交わされました。
求められる役割は「モノ説明」から「利用者理解」へ
デジタル技術の普及により、利用者が製品・サービス・情報と向き合う前提は大きく変わりました。価値の中心が「モノ」から「コト」へ移るなか、関連する法制度や規格も高度化し、テクニカルコミュニケーターに求められる役割は着実に広がっています。
一方で、従来の手法や個人の経験だけでは、複雑化する利用者の期待に応える情報設計や、次世代を担う人材育成には限界が生じつつあります。
そこで鍵となるのが、HCD(人間中心デザイン)の考え方です。HCDは単なる設計プロセスではなく、利用者の立場から課題を捉え、確かな根拠をもって「安心」を届けるための基本となるマインドセットです。
こうした前提を踏まえ、セッション冒頭では、コーディネーターの安西敬介氏(以下、安西氏)が企画意図を説明。今回のセッションが目指すゴールとして、テクニカルコミュニケーターの役割を「製品を理解して伝える人」から一歩進め、HCDの観点を踏まえた「使う人を理解し、使えるようにする人」へと拡張していくことを掲げました。
前半パートでは、テクニカルコミュニケーターがHCDをなぜ理解すべきなのかを出発点に、3名のパネリストがそれぞれの立場から現状を解説しました。登壇したのは、JTCA公益活動企画会議議長の黒田聡氏、マイナビ出版の岡謙治氏、そして人間中心社会共創機構シニアフェローの伊東昌子氏です。

テクニカルコミュニケーションの基盤となる規格の改訂と品質保証
安西敬介(以下、安西) まず、テクニカルコミュニケーターに求められる役割の変化と、デジタルの進化に合わせて高度化した法令や規格の要求や「顧客体験」の捉え方について、JTCA の黒田さんより発表いただきます。
黒田聡(以下、黒田) JTCAは製品やサービスの使用説明を扱う専門家の団体であり、国際規格・JISに基づく品質管理を重視しています。近年テクニカルコミュニケーション(以下、TC)の技法が規格に明確に取り込まれたことで、地位は向上する一方、用語や手順に規格上の要件が課されるようになりました。
転換点は2024年(国際規格は2022年)です。電子化された取扱説明書は固定的な「コンテンツ」ではなく、製品の一部としての「ソフトウェア」と定義されました。部品化・組み合せ・改訂を前提とするため、ソフトウェア相当の管理体制と関連規格の遵守が不可欠になります。背景にはデジタル化やハード・ソフトの一体化、経済安全保障の観点の強化があります。国内ではJIS X 0153がIEC/IEEE 82079の要求を具体化し、制作・提供・利用の各段階での要件を整理しています。
これにより、これまで「作る」行為に偏りがちであった議論は、「届ける仕組み」へ拡張されました。紙を同梱するかは選択可能ですが、同梱しない場合は代替の提供方法を検討しなければなりません。整理すると、制作段階ではユーザビリティとアクセシビリティ、提供段階ではアクセシビリティ、利用段階ではユーザビリティが求められます。
TCは出荷前から廃棄までのプロセス全体を対象にし、テクニカルコミュニケーターは「表現者」ではなく再現性ある成果を生む「エンジニア」と定義されます。独自性より同等の品質、第三者の文章の最適化という姿勢が大きな特徴です。

サービス評価の整理も進みました。“おもてなし”に対応する概念は、TCでは組織能力としての「サービス・エクセレンス」と、そこから生まれる「エクセレント・サービス」として区別されます。カスタマーデライト、カスタマージャーニー、タッチポイントなども規格用語として定義されますが、タッチポイントとデータポイントを分けて扱う点は一般的なマーケティング用語と異なります。
また、既存のISO 9000系の「基本的なサービス」とサービス・エクセレンスは併存しますが、評価軸が異なるため語彙の定義を混在させないことが重要です。たとえば、ISO 9000の語彙(VOC、ユーザビリティなど)と、感情評価軸を持つ上位概念(パーソナライズ、カスタマーデライトなど)は、目的に応じて使い分ける必要があります。
TCとHCDとの接点も明確化しました。最近の改訂でアクセシビリティは「届ける度合い」、ユーザビリティは「届いた後の使いやすさ」と分離され、図示・記述の表現面で双方が歩み寄っています。成果物の定義も見直され、「取扱説明書」は規格上は安全情報のみに限定し、それ以外は「仕様情報」等へ整理。価格や販促を除く広い範囲が「利用者用情報」として扱われ、実務の位置づけがより明確になっています。
Web/UXの現在地とAIのインパクト
安西 続いては、株式会社マイナビ出版で『Web Designing』をはじめとする雑誌・Webメディアの統括部長を務め、TC協会の取り組みを継続的に取材・記事化してきた岡さんから、近年のWeb/UXの変化––––––とりわけAIの浸透がもたらす影響についてお話しいただきます。
岡謙治(以下、岡) AIの登場によってUI/UXの前提が変わりつつあります。ユーザーの行動や嗜好に基づくパーソナライズ、位置や時間帯・使用履歴に応じたコンテキスト適応、A/Bテストの自動化などが実用段階に入りました。また「Figma」のAI機能のように、要件を与えるだけで初期レイアウトやコンポーネント案が生成され、プロトタイプ構築の初速が飛躍的に向上しています。これにより、制作チームは“手を動かす作業”から“考えるべきこと”へと、時間の重心を移しやすくなっています。
さらに、アクセシビリティの領域でもAIの活用が進みました。画像の自動キャプション生成、音声認識・読み上げ、リアルタイム翻訳・自動字幕、さらには自動アクセシビリティチェックまで、支援の幅が広がっています。例えば「Microsoft Seeing AI」や「Google Lookout」といったアプリは、視覚情報の理解をサポートし、利用者の可能性を大きく広げています。

ユーザビリティの観点では、生成AIとの自然言語対話が「正確なコマンド入力」に依存しない新たな体験を生み、チャットUIによって課題解決のハードルは下がりました。「ヒートマップ分析 × AI」では滞在時間やスクロール量などの行動データをもとに課題ページを自動で抽出し、改善の優先度判断まで支援します。さらに、AlexaやGoogle AssistantなどのボイスUIは、手が使えない状況や高齢者・視覚障害者の利用にも適したインタラクションを提供しています。
こうした変化のなかで、Web制作者の役割は再定義されつつあります。ルーティン作業や単純コーディングはAIに任せ、人は複雑な設計や意思決定、そして“画面の先にいる人”の文脈・感情を捉える部分に注力できるようになります。デジタルの支援が進めば進むほど、接客や配慮といった本質的な「人への対応力」が改めて問われ、ユーザー理解の深掘りはこれまで以上に不可欠になっていくでしょう。
広がる学びの場──HCD検定とTC試験の接続
安西 そして最後は、HCDの研究開発に40年以上携わってこられた、HCD共創機構シニアフェローの伊東さんです。HCDが単なる「設計手法」ではなく、利用者の立場から物事をとらえ、エビデンスをもって「安心」を届けるための基本的な考え方としてどのように発展してきたのかをご紹介いただきます。
伊東昌子(以下、伊東) 私は、人間中心社会共創機構のシニアフェローとして、認知心理学に基づく紙マニュアルの改善から、業務システムやサービス開発、ダイバーシティ&インクルージョンの研究支援へと約40年かけて領域を広げてきました。
1980年代後半には、認知心理学の知見を生かしてわかりにくさの分析とモデル化を行い、設計側にフィードバックしました。当時、人間中心デザインやユーザビリティの考えは普及する前でしたが、標準化の動きにも関わりました。
その後、「モノありき」で終わらないよう、人・情報・テクノロジーを扱う組織づくりを提案し、 NTTアドバンステクノロジ株式会社でHIT(人と情報と技術の接点の問題を扱う)センターの立ち上げに参画。対象は家電・オフィス機器などから専門性の高い業務システムへ拡大しましたが、現場ではエンジニアが作ったシステムは「使いづらい」という課題が噴出していました。
そこで、心理学や社会学の量的・質的調査手法を活用して、業務分析に取り組みました。それらは、人が情報を取り、変換し、出力に至る過程を捉え、システムとの齟齬を特定して設計に戻す手法です。さらに、ヒューマンエラーや事故分析にも携わるうちに関心は「わかりやすいインターフェース」から「利用品質」へ広がりました。

HCDが1999年にISO標準化され、実務適用が本格化してからは「人が活動する場」の価値を高め、新たな価値提供をするための方法を探りました。たとえば遠隔の家族を対象に“気配を感じられる”「つながり感通信」やWeb上のコミュニティ形成の効果測定など、ユーザビリティを超えた検証も行いました。
昨年からはHCD検定とTCエンハンス試験のドッキングが進み、同時受験が可能になりました。HCD50問・TC50問で、まずは「知る」ことを目的とした試験です。専門家以外にも開かれているので、進路やキャリア設計の参考にしてください。HCDを土台に、未来を共創する場へと広げるために、皆さんも人への関心を持ち、「コミュニケーションを設計する」という視点を大切にしていただきたいと考えています。
第2部:パネルディスカッション
後半では、これからのテクニカルコミュニケーターに求められる役割や、実務に顧客視点やHCDを取り入れる利点、さらに生成AIの普及に伴うUI/UXの変化を踏まえ、今後のキャリアや業務のあり方についてパネルディスカッションが行われました。ここでは、その議論をダイジェストで紹介します。
議題①|「ユーザー視点に立つ」とはどのようなことか?
黒田 テクニカルコミュニケーターは「ユーザー視点」と言われながらも、実務ではどうしても“製品の部品づくり”に陥りがちです。これまではISO 9000の内側で価値を積み上げてきましたが、差別化が難しくなった今こそ、外側の評価軸である「サービス・エクセレンス」に目を向ける必要があります。
今回の規格では、認証の外側で取り組む活動も認めていますが、そこで問われるのは「感情」の評価です。設計品質だけでは人の気持ちを捉えきれません。だからこそ、人間中心デザインの知識を体系的に学び直す必要があると考えています。
安西 HCDが高校教科書に掲載されたのは2018年です。私たち自身も基礎を見直す時期に来ていますが、テクニカルコミュニケーターとして「当事者意識」を持つには、どこから取り組むべきでしょうか。

伊東 まずは、相手となる利用者像を具体的に描くことです。属性だけでなく、弱点やつまずきやすいポイント、丁寧な説明が必要な箇所まで書き出します。これが描けないと、現実の行動との照合ができません。
また、利用者本人だけでなく「周囲の人」や「環境」まで含めて設計することも重要です。たとえばオフィス用シュレッダーを家庭で使い、子どもが事故に遭った事例は、家庭にいるであろう他の存在(幼児、お年寄り、場合によっては犬や猫なども)を組み込めなかった典型例です。
安西 共創(コ・クリエーション)を進めるうえで、特に意識すべきポイントはありますか。
伊東 作り手の思いを尊重しながら、偏りが生まれないよう、ユーザーの価値観を“通訳”して伝える存在になることです。作り手と使い手の視点をつなぎ、両者が歩み寄るための橋渡し役が重要になります。
議題②|顧客視点を得るためのデータ活用方法
安西 テクニカルコミュニケーターが「利用者状況の把握」を行う際に活用できるデータには、どのようなものがありますか。
伊東 たとえば、コールセンターなどに寄せられる顧客の声(VOC)を形態素解析し、「どこでつまずくのか」「どの属性の利用者が何に困っているのか」を把握し、改善に活かすことができます。
岡 定性的なインタビューも欠かせませんよね。会議室では出てこない前提や使い方は、現場に足を運ぶことで初めて見えてくることがあります。ただし、人はどうしても“建前”で答えてしまうので、行動データで裏付ける視点も重要です。
黒田 アンケート結果には恣意性が入りやすい点にも注意が必要です。だからこそ、行動観察、いわゆるエスノグラフィーをもっと前面に出していくべきだと考えています。

議題③|HCD視点を取り込んだテクニカルコミュニケーターの強み
伊東 テクニカルコミュニケーターはもともと「部品を見るプロ」です。HCDの視点を取り入れることで、その部品が“全体の文脈の中でどんな意味を持つのか”まで見通せるようになります。たとえば福笑いのように、個々のパーツを最適化しても、全体の“顔”としては整合しないことがありますよね。視野が広がることで、仕事に対する意味や自信が生まれ、プロフェッショナル性も高まります。
岡 制作者の思いと使い手の状況を深く理解し、その意図どおりに機能する情報を届けられる人こそ、もっとも強いTCだと思います。
安西 顧客視点を持ったテクニカルコミュニケーターになるために、最初に取り組めることは何でしょうか。
岡 まずは現場に触れることですね。実際の利用状況や人の動きに触れるところから始めたいです。
伊東 現場の役割を急に越えるのは難しいので、最初は同じ立場でHCDに取り組む人の実践を聞き、小さく始めて成果が出たら広げるのが良いと思います。無理をしないことが、継続のコツです。
安西 「当事者意識」を正しく保つためには、どのようなプロセスが必要でしょうか。
伊東 最初に設定するペルソナは、あくまで“仮説”でしかありません。明確な仮説を持ち、データで検証してループを回すことで、エラーや齟齬も重要なフィードバックとして扱えるようになります。
議題④|顧客視点を得る際のAIとの付き合い方
安西 AI時代の変化も無視できません。Googleの「Notebook LM」やチャット型AIの登場によって、マニュアルの対話・音声・多言語での出力が容易になり、検索の半分をAIに置き換える利用者も出てきています。そうなると、ペルソナ設計にも「生成AIの利用実態」を取り込まなければ、実態に即した情報設計は難しいのではないでしょうか。
黒田 翻訳やアクセシビリティの多くは、すでにAIで代替可能になっています。一方で、「どのAIにアクセスさせるか」というマネジメントは、国際的なリスクにも直結します。国や地域の法制度に応じて、安全に利用できるよう分断設計を検討する必要も出てくるでしょう。
安西 学習データに偏りが生じる以上、その前提を理解したうえで設計しなければなりませんね。
伊東 どのような変化があっても、HCDの取り組みに手間がかかる点は変わりません。ただし、最終的に推進力となるのはビジネスです。パートナーをがっかりさせずに価値を届け、対価を得る––––––その視点こそが、継続の力になるのではないでしょうか。

TCとWeb制作をつなぐ、共通基盤としてのHCDの可能性
テクニカルコミュニケーションとWeb制作は、HCDを共通の基盤として、「文書」や「画面」を作ることにとどまらず、利用者の体験全体を再設計する役割を担っています。つまり、業界の標準規格で整理されたアクセシビリティやユーザビリティの視点に、サービス・エクセレンスや感情価値を組み合わせながら、VOCや行動ログ、エスノグラフィーといった実データを活用して仮説検証を回していくことが重要だといえます。
さらに、生成AIが翻訳やレイアウト作業を自動化する時代だからこそ、「利用者の文脈」や「見落とされがちな視点」を深く理解した情報設計と体験づくりの価値は、いっそう高まっていくと考えられるでしょう。
文:栗原亮(Arkhē) 企画協力:一般財団法人テクニカルコミュニケーター協会
※本記事は一般財団法人テクニカルコミュニケーター協会とのタイアップです。
