
いまあたりまえになっている価値観がどういった技術から生み出されたのか、という視点を持つと面白い―長谷川 敦士
雑誌を見てプログラムを入力してました
坂本:パソコンにはじめて触れた時期を覚えていますか。
長谷川:小学4年くらいのとき、親が仕事で使っていたパソコンが家にありました。当時は、フロッピーディスクがまだ高価で、カセットテープからデータを読み込んでプログラミングしていましたね。ベーシックでゲームを作ろうとして挫折したりもしました。当時、プログラムがいっぱい載っている雑誌が普及していた時期だったので、そういうのを見てプログラムを入力したりしていましたね。
パソコン通信が世界中で始まった頃で、今はインターネットにつなぐというとプロバイダーにつないで接続しますが、当時はホストコンピューターに直接電話をかけて接続する感じでした。接続先が掲示板とか情報サービスをやっていて、そこで情報交換したりメールしたりしていましたね。音響カプラという電話機を物理的にはめる機器を使って、速度も300ボー(約300bps)程度でした。当時、出版社のアスキーが始めたアスキーネットに山形から電話で接続して、アカウント登録手続きだけでも1万円くらい電話代がかかり、祖父に怒られた覚えがあります。
家では、ファミコンはダメだけどパソコンはOKというルールだったのですが、試験期間に使用禁止を言い渡された同級生のファミコンを借りて、家でこっそりやってましたね。
東北大で物理の世界に行く
坂本:インターネットに触れるのはいつごろなんですか。
長谷川:大学は、東北大学の物理学科に行ったのですが、進学した素粒子実験分野は、シミュレーションのために膨大なコンピュータ資源が必要な分野であったこともあり、コンピュータの環境は充実していました。WWWを考案したティム・バーナーズ・リーの所属もCERNという素粒子物理実験施設でしたが、そこと同じような施設です。
また、東北大は、インターネット技術の開発も先端的に行っていたこともあり、インターネット環境も充実していました。当時、秋保(akiu)っていう日本のシェアウェアが集まるサーバー(註:現在株式会社インプレスが提供する「窓の杜」の元になったサーバー)が東北大の中にあったので、イントラネットからダウンロードするスピードで最新のシェアウェアが利用できました。
坂本:物理に行くキッカケはあったんですか。
長谷川:(家具デザインで有名な)イームズ夫妻が作った『パワーズ・オブ・テン』という映画があって、パワーズというのは10の何乗という意味なんですが、人が寝ているところからスケールアウトして宇宙全体になって、次にズームインして身体の中に入って原子核になっていくという映画なんです。実際に観るのは大学生になってからなんですが、その映画のコンセプトを当時雑誌の欄外コラムで読んで「こりゃすげぇ」と思って、「一番小さいなものは何か」と考え、素粒子物理に興味を持ちました。
物理学から認知科学へ
坂本:大学ではどういうことをされていたんですか。
長谷川:大学の学部と修士課程は物理学をやっていて、スーパーカミオカンデというニュートリノという素粒子を観測する研究のプロジェクトに入っていました。その後、博士課程で専攻を変えて、認知科学の分野に進みました。認知科学はAIの研究から生まれた分野ですが、後にユーザーインターフェース研究にも関連してくる分野です。
坂本:影響を受けた学者や研究者とかはいたんですか。
長谷川:(リチャード・)ファインマンという有名な物理学者がいて、教科書(『ファインマン物理学』)や一般書(『ご冗談でしょう、ファインマンさん』)などでも有名な方ですが、彼のアプローチを知って、自分の中のサイエンスに対する感覚が一新されるところがありました。割とアートに近いものがあって、自分の興味の軸で探求したいところについて深堀りしていくという姿勢は影響を受けました。
坂本:バイトとかもされていたんですか。
長谷川:96年くらいに株式会社インプレスが『INTERNET Watch』というメールマガジンを作るんです。当時いた編集者の山下憲治氏が立ち上げたメディアで、その記者に応募してライターとして採用されました。当時、新しいサイトやサービスが毎日立ち上がっている時期だったので、そういう海外で発表されたニュースとかサービスを紹介する記事を書いてましたね。場所を選ばずできる仕事だったので、スーパーカミオカンデの中でも研究の合間に記事を書いていました。そのとき編集者の方々に記事執筆の指導をつけていただいたのはいい経験でしたし、よく覚えています。また、その延長で、雑誌『インターネットマガジン』の付録冊子の執筆なんかもやっていました。
コンセント社の設立
坂本:コンセント社を設立する背景にはどういったことがありましたか。
長谷川:コンセントの立ち上げには、これからのコミュニケーションデザインには、伴走型のデザイン会社が必要である、という意識がありました。
今でこそデザインは「Design for People」から「Design with People」に変わってきて、これからは「Design by People」と言われていると思いますが、2000年頃のWebサイトの構築というのはほぼカスタムメイドのものであり、なかなか「要件定義」「デザイン」とフェーズを区切ってプロジェクトを進行していくことは難しいと感じていました。
今も「伴走型」と自分たちでは言っているんですが、伴走してやらないといい仕事はできないし、しかしながらそれをちゃんとビジネスにしないと(やるほうも)継続しないなという課題意識がありました。
エンジニアリングの業界では、シニアエンジニアが要件定義しながらセールス(アカウントマネジメント)も担当する、「セールスエンジニア」という職業があり、デザインにおいてもそういった仕事のしかたができないかと考えて、実践のためにコンセントを立ち上げました。
コンセント初期にはリクルートさんのサービスの立ち上げプロジェクトなどを数多くやらせてもらいましたが、そういったなかで伴走型のアプローチが求められる手応えを感じました。
海外やコミュニティのつながり
坂本:海外のカンファレンスに行くようになったキッカケはあったんですか。
長谷川:ウェブIAについて、日本で当時まだ情報がなかったので、IAサミット(現IAカンファレンス)といったプロフェッショナルが集まるコミュニティに参加していました。いわゆるベンダーが売り込みをかける場とは違い、お互いがナレッジをシェアする場であり、そういうところに行ったほうが、圧倒的に今何が同時代を生きている人たちで問題意識とされているのかという空気をキャッチアップすることができます。
IAコミュニティを日本で立ち上げられないかと取り組んだ時期もありますが、日本だとIAが専門領域として確立しなかったことと、参加者がオーディエンスになってしまい、いっしょにナレッジを共有する場にはなかなか持っていけませんでした。(いまコミュニティを運営している)サービスデザインのほうが、事業の開発に直接関わるので、積極的に参加される方が多いと思います。
造形構想学部
坂本:武蔵野美術大学で教鞭をとることになったいきさつを教えてください。
長谷川:大学で教えるというのは自分の知識の定着化の側面があるので、コンセントを立ち上げた年くらいからやっていて、武蔵野美術大学も2010年くらいから非常勤講師で教えていました。
これからは、「誰しもがデザインを実践する」という考え方が社会一般にも広がっていく必要があると思っています。コンセントでも企業内のデザイン文化をつくるような仕事が増えてきました。そういったニーズも加速してきたので、新しいデザインスクールのようなものを考えていたところ、武蔵野美術大学でも新しいコンセプトの造形構想学部の検討をしていたということで、ご一緒させていただくことになりました。
アートやデザインを基礎教養として学びソーシャルイノベーションの実践力を身につける学部教育と、クリエイティビティを活かしてビジョンを持ってリーダーシップを推進する力を身につける大学院、大学というオープンな場を使ってコラボレーションを行っていく研究所という構成で試行錯誤しています。
音楽(宅録)をきちんとやるべきでしょうね。
郷:もし今2021年に20歳だとしたら、どんなことをするでしょうか。
長谷川:(学生時代からバンドをやってきていますが)今20歳だったら、いまの環境を活用して音楽(宅録)をちゃんとやるべきでしょうね。
(バンドは)当時のメンバーと連絡をとってセッションしたり、というのもやっていたりはしますが、なかなかライブをするところまでは行き着いていません。実は一昨年ライブしようとしていたのですが、コロナになってさらに逆風になってしまいました。音楽活動はきちんと再開したいところです。
音楽の作り方とかも、自分で作っていると、年取ったからいろいろ見えてきて作り方が変わったところもあるし、やりたいと当時思っていたけど、テクノロジーが追いつかなかったことも(今は)できるようになったりしているので、今の環境で作りまくれたらいいなと強く思います。
とはいいながら逆に今はやれることが多すぎるというのもあると思います。昔はやれることが少なかったからできたのかも知れませんね。
いまあたりまえになっている価値観がどういった技術から生み出されたのか、という視点を持つと面白い
坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。
長谷川:今はテクノロジーがいっぱいあって、習熟するのが大変ということが起こると思うんですが、考え方として、テクノロジー習熟を目標にしないでよいと思います。完璧なテクノロジー理解を目指すのではなく、やりたいことを実現するために、必要なテクノロジーをキャッチアップすればいい、という考え方でよいと思います。テクノロジーはこれから先も変わっていくので、今のテクノロジーを完璧に習熟するよりは、大きな流れを掴んで、なぜ今そういうものが生まれたのかであったり、ルーツを遡ったりして理解することが大事だと思います。
『伽藍とバザール』(※註)ではありませんが、テクノロジー分野の考え方が、社会や文化に影響を与えている時代です。Twitterのタイムラインも20年前には存在していなかったものであるわけで、フラットに社会を見て、いま起こっている新しい価値観が、どういったテクノロジーやその周辺の考え方から生み出されたのか、という視点を持って社会を見ていくと面白いんじゃないかなと思います。
※註:「伽藍とバザール」自身もソフトウェアエンジニアであるエリック・レイモンド氏によって書かれた、Linuxの開発を事例として取り上げたオープンソースソフトウェアのソフトウェア開発方式について書かれたエッセイ。ソフトウェア分野だけでなく、幅広く影響を与えた。山形浩生氏の翻訳で前文を読むことができる: https://cruel.org/freeware/cathedral.html
この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #34(ゲスト: 長谷川敦士)
https://www.youtube.com/watch?v=-Jm_D0v4_-U
Era Web Architects プロジェクトとは
『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。
・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)
インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。
郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。