
デザイナーとプログラマーの間では、なぜ齟齬が起きるのか。脳科学者・中野信子とクリエイター・川田十夢が描く言語化の未来

クリエイティブの仕事はいま、成果物で語る以前に言葉で語ることが求められます。なぜ求められるのか。なぜそれが難しいのか。音声言語の認知に関する研究で博士号を取得した脳科学者の中野信子さんと、開発・執筆・ラジオ出演等さまざまな形で言語を扱う川田十夢さんの対談から、言語と人の関係をひもときます(前後編の後編)。
言語化するのは
野暮だと思っていた
川田十夢(以下、川田) デザイナーとプログラマー、クライアントとマーケターなどのやり取りで齟齬が起きるのには大体同じ理由があって、その職能の人が当たり前にわかっていることを、みんな極端に言語化したがらないんですよ。本当はそこが一番重要で、言葉にしてほしいんですけど。
中野信子(以下、中野) 自分の感覚や手癖でできてしまうことを言語化するのは比較的ハードルが高くて、認知負荷もかかるんですね。その手間をかけたくないという感覚が無意識のうちにあるのだと思います。
川田 プログラマーはよく「仕様書にしておいて」と言うじゃないですか。仕様書に書かれていないものは、彼らに伝わっていないものなんですよ。だから、デザイナーがそれを読まないと齟齬が起きることになってしまうわけですね。
中野 2018年のイグノーベル賞で、「複雑な製品を使うときに多くの人が取扱説明書を読んでいないという発見」という研究論文が文学賞を受賞していましたけど、同じことですね。

川田 まさに、メーカー言語とユーザー言語の齟齬が取扱説明書ですね。僕、仕事で本来は仕様書を書かなくてはいけないような場合でも、全部デモをつくってプレゼンするんですよ。
なぜかというと、決裁者は仕様書を読まないからです。動くものをつくって、実際に目の前で僕が使っている様子を見せて説明する方が伝わるんです。それでプレゼンが通らなかったことは一度もないんですよ。
中野 デモとは、仕様書を見える化して読んだことにする体験なんですね。
川田 そうなんです。でも逆のこともあって、最近仕事でちょっとしたキャラの3D化やイメージボードなどの作成にAIを使っているんですけど、自分のつくりたいイメージをAIにプロンプトで伝えるのって部下に伝えるのと似ていませんか? 仕事をスムーズにするためにどう伝えればわかってもらえるのか考えるのが、プロンプトの発想に近くてハッとしました。あれはトレーニングになると思います。
中野 わかるように書かなくてはいけないわけですよね。
川田 そうです。僕、何の専門家かと言われたら多分可視化の専門家なんですよ。何でも可視化して、「見てわかるでしょ?」というものをつくってきた人間だから、自分の好きなドット絵とかAR独特のオクルージョンなどの表現を入れたい時に、あえて言葉にするのは野暮だと思ってしまうんです。
でも、AIに対してはプロンプトにしないといけない。野暮だと思っていたけれど、実際言葉にしてみたら伝わるんですよね。これは人間に対しても、そうした方が親切なんだろうなと思いました。

音声言語・文字言語を超えた
“伝え方革命”を求めて
中野 言語の時代がいつまで続くのだろう、と考えることがあります。結構不便じゃないですか。脳は一度に5個も10個も考えているのに、言葉は1個ずつしか伝えられない。思考はパラレルなのに、言語ってシリアルなんです。一度に5個10個と伝えられる方法があればその方がいいに決まっていて、その方法をみんなが使えるようになったらそこが言語の終焉だと思うんです。
この1万年で人間が文字を使い始めたように、もう一度そういう“伝え方革命”のようなことが起きるのではないかと期待していますし、早くそういう時代に行きたいです。
川田 僕が可視化をする上で一番大事にしているのは、「誰にとってどう見えているか」という個人的な体験をいかに可視化するかなんです。
例えば、建築家の人がこの辺(渋谷区外苑前付近)を歩いたら建築のテーマパークのように見えるだろうし、お腹がすいている人が歩いたら飲食店しか目に入らないかもしれない。外国人観光客は日本人が素通りするようなところで写真を撮っていたりしますよね。そういう個人的な視点とか体験を共有するのって、今後の空間コンピューティングに近いと思うんです。
中野 イランから来た人が日本で雑草を見て「わぁ、緑!」と感激していたのを思い出しました。日本人は草を見ると「抜かなきゃ」と思うけれど、砂漠の国から来た人が見たら違うわけですよね。
川田 そうでなんです。隣り合う人たちの目から1つのものがどう見えているか、同時に可視化されるというのが僕の目指しているところです。
いろいろな人の価値観が同じものを見た時にパッと表層化されたら、リアルタイム感ありますよね。

中野 それは面白い! 人間はそれほど頭がいいわけではなくて、今が進化の終点でもなければ逆に能力が下がっている可能性もあるわけです。人間ができないところは道具に補助してもらいたい。だから、自分の見ている世界だけが世界ではないと見せてくれる仕掛けは、あってもいいと思いますね。
それで伝え方がバージョンアップしたら、もしかするとダンバー数も超えられるかもしれません。ダンバー数は人間が安定的に関係を築くことができる人数の上限で、150と言われています。それ以外の人はよそ者、ないしは敵として、ラベルで見るしかないんです。人種、国籍、◯◯な人、と言うラベルになってしまって、我々の計算能力的に人格まで見ることができない。
もし言葉のモダリティがもっと豊かになって、ダンバー数を超えることができたら……。
川田 敵ではなくなるかもしれないと。
中野 はい。今までのコミュニティの限界より外側までマージして、敵と思ってた人からも豊かな情報が得られて、お互い得になるようなコミュニケーションができるようになるかもしれません。
今までは、計算能力の限界のせいで偏見を持ったり戦ったりせざるを得なかった。その限界を越えるようなことが伝え方のバージョンアップによって叶ったら、すごく熱いと思います。
人は言葉で世界を知る
言語は「認知の釣り針」
中野 人間は同じ構造の眼を持っているのに、認知が言語に引っ張られるんですよ。ロシア語には英語の「blue」に相当する単語がなくて、青を表す単語に明るい空色系の「ガルボーイ」(голубой)と、暗い紺色系の「シーニイ」(синий)があるんです。
ある研究では、その2色の間を20段階に分けたパネルを1つ提示した場合、ロシア語話者は英語話者に比べて同じ色のパネルをより的確に識別できるという結果になりました。
川田 言語とイメージが完全に紐づいているんですね。
中野 そう、マッチングしているんです。他の人には見分けられないものでも、言葉で認識している人はそれを体験としてすくい取ることができる。言語は認知の釣り針のような役割があるんです。
その機能を私たちは手放してはいけないと思うのですが、意識的に使っている人は意外と少ないのかもしれません。何かモヤモヤしてよくわからない思いを抱えているとき、「あなたは今こういう感覚ですよね」と言語化されると気持ちいいんですよ。問題が解決されなかったとしても、モヤモヤに共感してくれるだけで十分に救われるんです。
川田 ああ、これ絶対に自分のことを歌っているなと思う曲に出会うことがありますよね。ミュージシャンはそういう力を持っている。
中野 はい、そのために言語化があると思うんです。意味のためだけの言語化ではなく、あなたの気持ちはこういうことだねと共感するスキルも言語化であるわけで。さらにそれが、こういう体験だったねとARのような言語を超えた伝え方で共有されたりしたら、たまらないですね。
川田 言語化しやすいことばかりではないけれど、みんなが思っていたことを言語化してくれた暁には、何かしら誉が待っていますから。面倒臭いですが、それがプロの仕事だと思います。
(前編はこちら)
Text: 笠井 美史乃 Photo: 石塚定人 撮影協力:Casa ZIZO
※本記事は「Web Designing 2024年6月号」に掲載した記事を一部抜粋・再編集したうえで掲載しています。