
「デジタル回帰」
2014年の夏、「タイポグラフィのコンクレーティズム」というひどく難解なテーマの講演と対談を依頼され、さてどうしようかと考えた。
20代のころに関わった『rock magazine』という雑誌の編集長で音楽批評家の阿木譲さんによる出版記念のイベントのひとつで、ミュージック・コンクレート(1940年代後半、フランスで起こった音響・録音技術を使った電子音楽)を源流とする、古いモジュラーシンセを積極的に使うようなサウンド志向を「コンクレーティズム(具体主義)」と名付けたという(ビニール盤やカセットテープの流行なんかも含まれるのかもしれない)。
ここは、「具体(concrate)」とは何かをもう一度問いなおす機会でもあったのだが、頭が先に反応して、ぱぱっと話の構成ができた。コードによってよみがえる身体性をテーマに、いくつかの本を紹介しつつ、最後はアルゴリズミックタイポグラフィの実演で締めくくる。そういう流れである。
本は『Designing Programms』『Typeface as Program』『Fluid Concepts and Areative Analogies』の3冊。『Designing‥‥』は、スイスのデザイナー、カール・ゲルストナーによる1963年刊行の名著で、手順や変数の概念とデザインとの親和性が解き明かされている。『Typeface as‥‥』と『Fluid concepts‥‥』は近年の本で、『Typeface as‥‥』には数理的にデザインされた書体を木活字化して大型ポスターに仕上げていくプロジェクトの様子が収められており、大きなヘッドフォンをはめて木活字を組む姿がターンテーブルを操るDJのようでかっこいい。逆に「思考の基本的な仕組みのコンピュータモデル」という副題がついている『Fluid concepts‥‥』は、この3冊のなかでは一番アカデミックな内容の本だが、意外にデザイナーには馴染みがよく、図版を見ているだけで納得してしまうところがある。
これらの本のめぼしいページを写真に撮って紹介しながら、アルゴリズミックタイポグラフィへと話を導いていき、コンピュータで自動的に配置した詩を、鉛筆をさしたプロッターで描き出す実演を行った。反応は上々で、ライブは強いとあらためて思った。
ぼくは、2007年に多摩美術大学で開催された「INSIGHT VISION II」展に「星座の解体」というステファヌ・マラルメの詩、「骰子一擲」に材を取った、コンピュータが自動で配列するタイポグラフィ作品を発表し、08年(Central East Tokyo)、09年(タイポロジック展)、10年(個展)とそれをプロッタで書き出したドローイングを立て続けに展示した。それが、その実演のオリジナルである。
構想は1980年代にさかのぼる。Macintoshではじめて日本語が使えるようになった1985年、ぼくの興味はコンピュータでデザインすることだった。
ぼくが初めて使ったコンピュータ支援のレイアウトマシンはNECのPC-98(国内占有率90%を誇った、Windows全盛以前の代表的機種)によるもので、CADのようなソフトに写植の指定(文字を組むための指定)を入力すると、ドラフタのような大型プロッタが、レイアウト図面を引いてくれる、そんな装置だった。
実際に使ってみると、やはり見出し部など細かく人の手が入るところに対応しきれなく、実用に耐えるものではなかった。しかし、赤ペンをさしたアームがぐいぐい動いて線を引いていくプロッタの動きが爽快で忘れられないものとなった。
2000年前後だったと思う。そのドラフタ型のプロッタでタイポグラフィを直に描き出すという着想を持った。そこで、そのかつて使ったシステムを探してみたがない。古いプロッタも、もうどこにも見つからなかった。その後、カッティングプロッタのMac用ドライバが開発されたことを知って、使ってみたのが制作の直接のきっかけとなった。
話を戻すと、その講演を機に、やっぱりコンピュータは面白い、本来やりたかったのはこっちだなと考えはじめた。ぼくは、フィジカルコンピューティングやデジタルファブリケーション、さらにはiOSアプリにもあまり興味が持てず、ここ10年あまりのデジタルデザインの潮流を傍観していたのだった。しかし、「コンクレーティズム」はコードでデザインしていたころの楽しさを思い出させてくれた。「具体」はアルゴリズムとパラメータの物理性のなかにあったのである。
- Text:永原康史
- グラフィックデザイナー。多摩美術大学情報デザイン学科教授。現在 「あいちトリエンナーレ2016」の公式デザイナーを務める。本コラムの10年分をまとめた『デザインの風景』(BNN新社)など著書多数。写真は、『Typeface as Program』の1ページから。講演で紹介した一枚。