《特別鼎談:國光俊樹 × 花城泰夢 × 小山和之》AI時代に問う「ストーリー」と「デザイン」の関係
近年、広くクリエイティブの世界でその意義が語られるようになった「ストーリー」。では、デザインの領域においてストーリーはどんな役割を果たすのでしょうか。
それを考えるために今回は、クリエイティブを軸に技術や経済、さらには思想や倫理に至るまで広く取り上げるWebメディア『designing』編集長である小山和之さんに、座談会の人選と司会を依頼することにしました。
話は小山さんがどういった理由で、Algomaticの國光俊樹さんとBCG Xの花城泰夢さんを対話相手として選んだのか、というところから始まります。そして議論は「ストーリー論」へ、さらに「デザイナー論」へと深まっていきます。(前後編の後編)
ひとつの事業の中にある多種多様なストーリー

國光俊樹(以下、國光) 今の花城さんのお話、実は僕が今日、話したいと思っていたことと重なるんです。たしか、花城さんはエディトリアルデザインの経験がありますよね。
花城泰夢(以下、花城) ええ。大学時代のアルバイト時代を含めると、4年くらいは出版の仕事に携わっていました。本の企画や編集に始まって、DTPもやりました。
國光 なぜそんなことを聞くのかというと、今、花城さんが提起したストーリーの生み出し方とデザイナーの関わり方についての話が、本をデザインするときの工程と重なると感じたからなのです。例えば雑誌には多様な記事が掲載されていますが、そこに共通の視点、すなわち横軸を通すのは編集者でありデザイナーだと思うんです。特に最後の最後、読者の手元にどういう形で届けるかという部分を担うのはデザイナーです。
花城 いろいろな人の想い、つまりストーリーを受け取って、ゴールに飛び込む“アンカー”の役目を担うのはデザイナーなんですよね。
小山和之(以下、小山) 実は先ほどからお二人に、「ストーリーを組み立てるのがなぜデザイナーでなければならないのか」と尋ねようと思っていたのですが、答えが出ていましたね。ただ、雑誌のようなエディトリアルデザインの場合、刊行されて紙に固定されますが、Webやアプリのようなデジタル創作物の場合、公開後も内容がどんどん更新されます。Airbnbにしても、例えばInstagramにしても、数年も経てばデザインは別物になってしまう。そのとき「ストーリーが壊れた」ということにはならないのでしょうか。
花城 そうなったとき、「丹精込めてつくりあげたデザインが壊された」と感じて、泣いてしまう人もいますよね。たしかに嘆く気持ちもわかるけれど、デザイナーが考えなきゃいけないのはそこじゃない。時代の変化によってアップデートしたとしても決して消えることのない、何か魂のようなものをデザインできるか。そこが重要なのだと思います。
小山 先程「合理性で削いではいけないものがある」という話がありましたが、それと重なりますね。
花城 例えば、正方形の写真しか投稿できなかったInstagramは、いつしか縦長の写真や動画を投稿できるようになりました。「正方形がよかったのに」と怒る人もいたかもしれないけれど、今はそれを気にする人はほぼいないでしょう。それはInstagramの「写真を撮って共有する楽しさを提供する」という魂が、変わらずにデザインされて提供されているからなのだと思います。
“I”を主語とするデザイナーと、“We”を主語とするデザイナー
國光 花城さんは「デザインが壊されたと泣いてしまうデザイナーがいる」とおっしゃっていましたが、僕個人は、エディトリアルデザイナーから、UXを担うデザイナーに転身したときに、その考え方を更新できました。デザインの主語が「ユーザー」になったということを自覚したからです。だから、ユーザーからのレビューを受けてサービスを進化させることは、むしろ喜びだと感じます。
小山 ここでひとつ確認をしておきたいのが、ここまでお二人が、ものをつくるデザイナーと、体験をつくるデザイナーとを分けて話を進めていること。読者の皆さんにはその点を誤解せずに読んでいただきたいですね。そのうえで、今、國光さんが、これら二つの仕事はストーリーをまとめあげるという意味では同じだけれど、主語が違うということを指摘された。
花城 今の話に関連して言うと、今日の主題である「ストーリー」ですが、最近は「ナラティブ」という言葉を使うことも増えましたよね。現状、日本では、その二つの言葉の使い分けがやや曖昧だと感じているのですが、海外で仕事をすると、「I」を主語とする場合をストーリー、「We」を主語とする場合をナラティブと使い分け、そのうえで“ナラティブ”を使う機会が多い。
その背景にはおそらく、満足させなきゃいけないステークホルダーが多いという事情があるのではないかと推測していたのですが、今の國光さんの話を聞いていると、彼らがビジネスにおけるユーザー視点の重要性をより深く理解しているということでもあるのかなと思いました。

小山 興味深いですね。文化の違いが言葉の使い方に現れる。この点も議論ができそうですが、ここでは話を複雑にしないためにも、「ストーリー」という言葉で統一しようと思います。
AIとガウディからストーリーと、デザイナーの関わりを読む
小山 先ほど花城さんがAirbnbの事例をもとに、ストーリーの活用法についての具体的な話をしてくださいましたが、もうひとつ考えてみたい事例があるんです。それはAI。先日、國光さんがAIを使ったサービス「アポドリ」を発表した際に、「伝え方には十分に気をつけている」と話されていて、それはまさにストーリーの話ではないかと感じたんです。
國光 なぜ伝え方にこだわったのかというと、AIには「人がこれまで積み上げてきた営みを奪う」という意見もあるからなんです。つまり、伝え方によってはAIを“敵”だと感じてしまう人もいるということ。そうした背景を意識して伝えないと、共感は得られないなと。

小山 具体的にはどんな点を意識しましたか?
國光 ひとつは、僕らが提供するサービスが、「多くの人が抱えてきた課題を解決するためにつくられたものだ」ということを明快に伝えること。もうひとつは、そうした情報を、ポジティブなストーリーとして伝えること。例えば、「こういうシチュエーションで、あなたが散々困ってきたことが、AIによって悩む必要がなくなりますよ」といった形です。ストーリーに接した人が、シンプルに「便利になりそうだな」と感じられるものにすることを大切にしたんです。
花城 BCGでもAIを使ったサービスを提供しているけれど、それとどう付き合うのかは大きな課題になっています。こうしたシチュエーションでは、デザイナーが「AIと人間が共存する世界」をちゃんと描き切ることが大切ですよね。
小山 そう言われて思い出したのが、2024年ごろから「AIエージェント」という単語をよく目にするようになったことなんです。どうやら、この言葉が出てきたことで「AIって我々の仕事を奪うものではなく、手伝いをしてくれるものなんだ」と、ホッと胸を撫で下ろしたした人が結構いるようなんです。このストーリーをつくった人は、今の時代背景、AIにおける「2025年感」をうまく捉えているなと思いました。
國光 おっしゃる通りだと思います。実は、今の段階でもAIには、もっと複雑でより役に立つことができると思います。だけど、それを想像できない人がまだ多いとするなら、より伝わりやすい部分からわかりやすく伝えていくべきだと思うんです。だから今は、「AIは僕らの仲間だ」という未来につながるストーリーを伝えるべきだと考えました。
編集とデザイン、そしてデザイナーが描くべきもの
小山 ここまで、ストーリーの役割、そして、ストーリーを語るのはデザイナーであるといった話がありましたが、ここで最後の質問をさせてください。僕は仕事柄、今日の話の多くが「デザイン」を「編集」と言い換えられると感じました。両者の共通項や差分から理解を深められると思ったのですが、その点についてはどう感じますか。
國光 今の小山さんのお話は僕にとってとても嬉しいものです。というのも、僕が考えるデザインとは、視点を使い分けながら多角的に物事を観察し、どのベクトルから対象を見るべきかを決定する仕事。実はこれまで、この定義が編集の仕事とも極めて近いのではないかと感じていたのですが、今の小山さんの話で確信になりました。
花城 素晴らしい考察ですね。デザインとストーリーにまつわる話として、僕が付け加えることはもう何もないです。でも、それで終わっちゃうとちょっと悔しいので(笑)、「デザイナーとはどんな仕事なのか」そして「どんなストーリーを描くべきか」という点について、スペインのバルセロナを散歩しながら考えた話をしておきたいんですがいいでしょうか。
小山 面白そうですね。
花城 バルセロナというと、みなさんもよくご存知のガウディが設計したサグラダファミリアがある街です。このサグラダファミリアって、マス目状に区切られた街区の一角に建っているのですが、そこからもう一方の角に向けて、対角線上の道が通っていたんです。「この道はなんだろう?」と思って進んでみるとその先に、つまり、サグラダファミリアの対角線上の正面に、もうひとつの大きな建物があったんです。それがガウディの師匠に当たるドメネク・イ・ムンタネーという人が設計した、サン・パウ病院でした。
國光 地図で見るとよくわかります。
花城 このサン・パウ病院は、「ガラスが多用されているから照明がなくても手術ができる」とか、「風の通りがいいから自然とウイルス対策ができている」といった、120年以上も前に設計されたとは思えない、先進的な思想のもとにつくられているのですが、この病院がもっとも大事にしたのが「芸術には人を癒す力がある」という理念。だから、院内にたくさんの芸術作品が飾られたのと同時に、病院の正面に大きな窓が設けられたというんです。将来完成するサグラダファミリアを仰ぎ見ることができるように、と。
國光 ガウディはそれを踏まえて、デザインをした、と。
花城 そうしたストーリーが多くの人々の共感を呼んだから、ガウディが亡くなって100年になろうという今も、建築は続いている。ひとこと言うとするなら、「こんなデザインをしてみたい」ということです。
小山 強いストーリーはどれだけの時を経ても、新たな価値を生み出し続けていく。今日はいいお話ができたと思います。國光さん、花城さん、どうもありがとうございました。
花城さんが描いたメモ

今回の座談会に、花城さんが持ち込んだポスト・イットのイーゼルパッドは約76センチ×63センチの大きなもの。そこに書かれた内容は議論の本質を捉えた、素晴らしいものでした。ここでは花城さんが描いた6枚をそのまま紹介します。






(前編はこちら)
取材・文:小泉森弥 写真:山田秀隆
※本記事は『Web Designing 2025年4月号』に掲載された内容を一部再編集して公開しています。
