「本をつくる」

本を一冊つくるのは大変である。何年もかけて考え、調査し、執筆した内容を、わずか数百ページに収めてしまう。そのための取捨選択や編集やタイポグラフィやブックデザインや‥‥考えると気が遠くなる。そういうことをいとも簡単にこなしてしまう人もいるので頭が下がる。でもそれは端から見てそう見えるだけで、実際は七転八倒しているのかもしれない。

「カタログレゾネ」とよばれる本がある。画家の一生分の作品リストや大コレクターの所蔵目録のことだ。もともとオークションなどで偽物が横行しないための商用利用だったらしい。したがって、細大漏らさず掲載されていることを旨とする。この細大漏らさずが魅力で、サムネイル(リストに添付される小さな図版)を見るだけでも楽しい。しかし、この制作は考えるだけでおそろしい。おそろしいが、つくってみたい気持ちもある。

もう20年以上も前になる。モノクロの写真集を一所懸命につくった時期があった。100ページもあれば分厚い方で、たいていは10折り(80ページ)を超えることはなかった。そこに30点から50点ほどの写真を載せるのだが、そのためにいつも1,000点以上の写真を見た。写真家にとって外せない写真があり、編集の意図を込める構成があり、デザインの肝になる1枚がある。その三者(写真家、編集者、デザイナー)が納得するところまで詰めていくのだが、その結果、ページ数が減ることはあっても増えることはなかった。そうやってだれもが鍛えられていったのだ。

小さな本をつくりたい、という気持ちは昔からあった。サイズではない。スケールのことだ。少ないページで少部数の、たった一人でつくれるような本をつくりたいと思っていた。

何十万部、何百万部、という本はデザインしたことがある。日常的に本をつくっていたころのことだ。でもそれはプロダクトで、工場で生産される読み物だ。それはそれで悪くはないが(ペーパーバックのような大量生産の本も好きだが)、本には違う力もあると思っていた。

デザイナーとしてやっかいなのはコンテンツである。本には中身が必要なのだ。ぼくは本を書くが、自分で書いたものを自分でデザインするのはいいことではないのかもしれない、と思っている。とはいえ、もう4冊そういう本を世に出した。今、5冊目をつくっている(紙の単著のみ。共著や電子本を含めると、自作自演はちょうど10冊目になる)。

自分の原稿を本にするときには、デザイナーの自分と執筆者の自分がいる。なんて、かっこいいことは言わない。渾然一体となってドロドロになってつくっている。きれいに割り付けるために原稿に手を入れることもあるし、原稿のためにフォーマットを崩すこともある。しかし、最後の最後はデザイナーとしての仕事で締めている気がする。やはりデザイナーはアンカーだという気持ちがあるからだろう。本当のアンカーは印刷所と製本所なのだが、そうでも思わないと完成をみない。

話がそれた。小さな本である。

小さな本をつくろうと思って、iPadの「Paper」というアプリケーションで描いたドローイング集を2冊つくったことがある。つくり方はいたってプロダクト的だ。紙と造本を決めて束見本をつくる(何種類かつくった気がする)。書き出したドローイングのデータをPhotoshopで調整、InDesignで割り付けて、印刷所に渡す。色分解はFMスクリーニング、もちろん色校も取った。手練れのプロの仕事である。

それが、初めて東京アートブックフェア☆1に出品した本だ。小さな本を気取って、大学ノートのようなミシンの糸とじにしたが、見る人にはばれていたのだろう。まったくといっていいほど売れなかった。今その本は、ニューヨークの 「Printed Matter」というアートブック専門店に置いてもらっている☆2。

今年も東京アートブックフェアに行ってきた。客としては1回目から見ている。出店者としては5回目になるのかな、よく覚えていない。最大でも1,000部、少なくて5部程度という本がびっしり並ぶ。小さな本の可能性をもう少し探ってみたくなった。

 

☆1 THE TOKYO ART BOOK FAIR

☆2 『In Everyday Life』 、『Flowers and People』

 

Text:永原康史
グラフィックデザイナー。多摩美術大学情報デザイン学科教授。現在 「あいちトリエンナーレ2016」の公式デザイナーを務める。本コラムの10年分をまとめた『デザインの風景』(BNN新社)など著書多数。写真は、公園で本を読む人。海外ではよく見かける風景である。
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