
《特別対談:中村勇吾×清水幹太 Vol.2》「僕のことは知らなくていいけど、Webの歩みを振り返ってみる価値はある」中村勇吾が語るWebクリエイティブの“過去と未来”

Web Designingが創刊して24年。その間、絶えることなくWebの可能性と楽しさを提示し続けてきた中村勇吾さん。中村さんはあの頃、何を考えていたのか、そしてこれから何をつくろうとしているのか。今回は「中村勇吾」というシンボリックな存在を通じて、Webクリエイティブの「これまで」と「これから」を考えてみることにしました。水先案内人は中村さんに憧れ、同じ“技術屋”として素晴らしい作品をつくり続けてきた清水幹太さんに依頼。後編では、環境の変化とものづくりをテーマにお話しいただきました。
「本物になり得ないこと」からは、きっぱりと距離を置く
清水 次の質問に進みたいんですが、ここからは、そうした環境の変化とものづくりみたいな話をしてみたいな、と。
これは私自身の話なんですけど、2年ほど前にニューヨークから帰ってきて、日本でBASSDRUMという会社・団体をつくって仕事を始めたのですが、それからというもの、私は気がつくとマーケティングの話をする人になってしまったんです。
ひたすらにものづくりをしていた私が、経営者の方なんかを前に「この新しいテクノロジーをマーケティングにどのように活用するかというと…」みたいなことを喋っている。勇吾さんはそういう経験はないですか。
中村 ありますあります。企業の人からはつくる人であると同時に、デジタルテクノロジーの専門家と見られるからね。
清水 そういう時は、どう対応しているんですか?
中村 その話をするなら、またラーメンの話をしなきゃいけなくなるんだけどいい?
清水 またラーメンですか(笑)。
中村 さっき話したラーメンブームの当時、「なんでんかんでん」の社長さんがね…。
清水 ああ、なんでんかんでん! 私も環七沿いにある店に行きました……ってこの話題、読者はついてこれるのかなあ。編集さん、しっかり注釈を入れてくださいね(笑)。
中村 それで、そのなんでんかんでんの社長さんって、時の人みたいになっていたから、よくテレビに出ていたの。で、ラーメンの話をするのかと思いきや、経営について話したりしていて。おいおい、と。
清水 確か「マネーの虎」にも出演していましたよね。
中村 フランチャイズで成功していたのだろうし、経営者としての手腕もあったのだろうけれど……なんか、つくり手として成功を収めていくにしたがって、つくることからどんどん離れていっている感じがして。社長、本当はラーメンの話がしたいんじゃないの? なんて。
清水 ……えっと、この話の流れからするとつまり、中村勇吾が「なんでんかんでん化」しかけていたってことですか!
中村 そうそう。ちょっとばかりインターネットなデザイナーが、それこそ日本を代表するような企業家に対して、これからの経営のデジタル化戦略について語る、みたいなことになりかけていたの。特に「デザイン経営」のようなワードが流行った頃は、そんな話ばかり求められるようになって、本当にヤバかった。
ヤバかったといえば、求められる仕事が一気に上流に移っていった時期もあって、気がついたら、仕事の半分が「指示」と「割り振り」になってしまっていたことも。

清水 私の場合、「こんなにつくる時間がなくなるんだったらこの仕事やめようかな」なんて思ったこともあったんですが、勇吾さんはそういう事態にどう対処したんですか?
中村 もうそれは明確に、ある時期を境にそういう仕事は全部やめました。経営のレイヤーでコンサルティングするとか、前工程をさばくとか。
清水 つくるところに戻った、と。それでHUMANITYに6年、みたいなところにつながっていくんですね。
私は自分がそういう人間だからというのがあるから、「前工程でうまく立ち回れない人」に心が向くというか、「ひたすらにつくることが好きな人」を肯定してあげたい気持ちがあるんですが、勇吾さんは、つくることと関係ないことから距離を置いて、幸せになったみたいな感覚がありますか?
中村 もちろん。ただ、誤解のないように言っておくと、「自分にとって本物にはなり得ないこと」から距離を置いて、自分が最も力を発揮できる本筋を見極めてそれに打ち込めばいいということであって、デザインと経営とを結び付ける才能がある人はそこに向かって突き進めばいいし、制作の前工程に面白さを感じている人はそこを磨いていけばいいんだと思います。
清水 その「本物」を、勇吾さんはどう見つけたんですか?
中村 実はこの仕事を始めて最初のうちは、Web制作全般、なんでもやっていたんだけれど、ひどいもんだったの。反省を込めて言うけれど、当時僕が情報設計したWebサイトなんて、どこからもリンクされていないページだらけの謎の状態になっていたから(笑)。
それがある時、自分は単に動きとインタラクションだけをつくりたかったんだってことに気がついて、これならハマるんじゃないかと思うようになった。そこでもう、それだけをやろうと開き直ってつくりはじめたのが、ecotonohaとかその頃の作品なの。そこに至るまでに3〜4年はかかったと思います。
年齢と才能の相関は?「大丈夫、そこまで枯渇しません」
清水 勇吾さんは大学でも教えていますよね。いまの若い人たちはどんなふうにして自分自身を見つけていくんでしょうか。
中村 うちの学科は、いろんなデザイン分野の企画構想から制作までを経験しながら、その中で自分のやりたいことを見つけていってください、というようなカリキュラムなんです。
美大という場所柄、グラフィックや造形に興味ある学生が多くて、僕らがやっているようなコードベースの表現をコアにゴリゴリやり続ける、みたいな人は1学年にせいぜい2〜3人じゃないかな。
清水 いろんな角度からデザインにアプローチさせているんですね。
中村 ただ、言われたことをやっているうちに、自分のやりたかったことに気がついて、それがピタッとハマる人がいる。そういう人は強いなと思うし、つくる仕事を長く続けられるんじゃないかとも思います。これは自分の経験でもあるけれど。

清水 すると、これから業界で他に先んじて「老後」を迎えるであろう勇吾さんは、まだまだつくることを続けていくんですね。
中村 老後(笑)。それで言うと、この仕事を始めた20代後半の頃、お世話になっていた大学の先生に「才能は40歳で枯渇するよ」って言われて。枯渇した後の人生を考えておけと。その言葉がずっと頭の片隅にあったから、30代の頃は「いまのうちにやりたいことを全部やらなきゃ」って焦っていたんだけれど、結局そんなことなかったんですよね。
いま53歳になるんだけど、プログラミングはこれからもずっと続けられそうだし、デザインについても少なくとも枯渇したとは感じてない。これは「老」の最前線からのニュースとして、皆さんにお伝えしておこうかと。「大丈夫、そこまで枯渇しません」と。
清水 この先、何をしていこうとか、考えることはありますか?
中村 ここで「一生ものづくりをしていきます」なんて言ったらかっこいいような気もするけれど(笑)、そこまでは思っていなくて、その時々に面白いと感じることをやっていこうかと。
中村勇吾さんが思う「いちばん面白いこと」とは?

清水 勇吾さんにとって、いちばん面白いことって何ですか?
中村 これまでやってきたことそのままかな。何かをつくって、人に見せて、ドキドキして。「面白いですね」「そうでしょう」みたいな。それでずっとご飯を食べてきたから。ただ、急に釣りにハマって、そっちで生きていこうなんて思ったりするかもしれないけれど。
清水 若い世代を育てるということについてはどうですか? thaは優れたクリエイターをどんどんと輩出していますが、どうすれば、いい人材が育っていくのでしょう。
中村 これが答えになるかわからないけれど、thaでは全員がデザイナーで、そのデザイナーとはコードを書く人、というふうに決めているんです。
それはなぜかというと、実装をしながら、つくるもののイメージを具体化させていくという、ボトムアップ的なやり方が最良のプロセスだと思っているから。具体的な実装が見えている人のほうが、既成概念に囚われない大胆な挑戦ができると思うんですよ。
清水 実は私もそのやり方を参考に、BASSDRUMを全員が「テクニカルディレクター」という肩書で仕事をする組織にしています。最近は分業が一般的だから、そういう仕事の仕方は減っていますよね。
中村 分業も良し悪しだよね。プロジェクト全体としてはメリットがあるのはわかるけれど、分業の一員とすることでその人のまだ見ぬ可能性を潰してしまっているんじゃないかな、とも思います。
清水 ちなみに勇吾さんはthaの卒業生の活躍をどんな目で見ていますか?
中村 彼らがいいものをつくっていたりすると……なんだろうな、嬉しいというよりも「くそー」みたいな。
清水 うわっ、「くそー」ですか!(笑)
中村 スタッフもそういうのがわかっているから、あんまり声をかけてくれなくて…(笑)。
清水 でも、自分が育てたクリエイターの仕事を見て悔しく思うなんて、凄いことですよ。いまいる場所に安住していないということですから。
中村 まあ、自分はもともとそういう性格だから。それに、彼らもこっちのことなんて気にしなくていいと思うし。さっきも話したけれど、我々の世代は「Webのこの世界には先人がいない」というメリットを最大限に享受してきたわけだから。その良さは崩しちゃいけないんですよ。
清水 好きにやってええんやで、と。
中村 そう。ただ、僕のことはそんなに知らなくていいけれど、Webのこれまでを振り返ってみる価値はあると思う。
清水 というと?
中村 インターネットとかWebの歴史って、テクノロジーの大きな変化をきっかけに、過去を塗り替えるようにして進化してきたところがありますよね。Webが登場したのもそうだし、Flashが出てきて消えたとか、iPhoneが登場したとか、SNSが生まれたとか。そういう変化が起きると、それ以前のことが急に古臭く見えて「誰も振り返らない」みたいなことが繰り返されてきた。
だけどそこには、陽の目を見ることはなかったけれど、いまの目線で見ても驚くようなアイデアが、たくさん置き去りにされている。ニューテクノロジー、いまならAIなんかに群がると、いいことがたくさんあると思うけれど、そういう忘れ物を拾いに行くのもいいんじゃないかなと。”落穂拾い”っていうのかな。
最近、幹太さんが新しいSNSをつくったって聞いたけど、それこそ、まさにそういう話なのでは?
清水 そうなんです。「state」をつくって、「X」が見落としてきたものがいろいろとあるなと感じています。
中村 あの頃は楽しかったな、っていうんじゃなくて、あの頃に置き去りにした別の可能性を追い求めるようなことがあってもいいんじゃないかなって。
清水 そうか、そうですね。勇吾さん、今日はありがとうございました。stateの招待状を送りますので、時々呟いてくださいね。
中村 はい(笑)。
前編はこちら
Text : 小泉森弥 Photo : ただ(ゆかい)
※本記事は『Web Designing 2024年8月号』に掲載されている記事を、一部編集・再構成した上で転載しています。